今日も、おはよう

f:id:poponyan2525529:20180827070724j:image街中もほら、人の海

ネットの中もほら、人の海

航海図を手にする者はいるのだろうか

今日も一日が始まる

この広い海の

どこに、あなたはいて

どこに、私はいるのだろう

海原を眩しく見つめた若い日は過ぎた

いつものコーヒーを淹れて

新聞の大きな文字を滑り読み

さて、ぼちぼち出かけますか

海は凪いでいる

夢見た島な地図を

探さないのか。

 

f:id:poponyan2525529:20180811155253j:imageは 賃貸業の他のに 文具屋をしていた

学校前の文具屋さん 

当時は 教科書も販売しており

いわゆる マンモス校 繁盛していたようだ

そして 母は開戦と同じ頃 某有名薬品会社に  

営業部付きの事務 

仕事が楽しく

空襲が激しくなり 疎開するまでの数年が

人生で一番楽しい時期だったようだ

毎年お盆の頃には 戦争体験の記事やドラマが続々と出てくるが

母のそれは 少し違う

薬品も大切な軍需産業

ヒロポン という 知る人ぞ知る 薬

当時はただの強壮剤、今や違法薬物

その効き目が絶大 

営業さんはあっちの部隊 こっちの工場へと大忙し

繁盛しているところには 物も豊富に集まり

食べものに 不自由なし 

しかも サッカリン なる 甘味料が大量にあり

それを 物資と交換していたようだ

 

暮らし向きは 恵まれていても

戦局は 芳しくないことは 開戦当初から知れていた

さすが 大阪 鬼の憲兵 戦争真っしぐらな人物も

この戦いは負ける

そう断言していた

職場の人もう 軍と距離が近く

この戦いは負けると断言していた

負ける戦いに向かうその精神状態が

いかなるものか 

「それでも 生きていくしかないからね」

母の時代を生きた女性は 

皆 鉄の女だ

 

さて 忍びのものは

戦地にて いかにー

 

 

 

 

 

忍者の里はひっそり弾む

f:id:poponyan2525529:20180809222429j:image大阪人の母は

先の対戦が ちょうど 青春時代

さぞ 辛い毎日と思いきや

その頃の写真があり

「戦争中に写真なんて撮ってていいの」

驚く私に 

「きれいでしょう」

なんて 自慢げに 洋服の説明をする

白っぽい タイトスーツ、襟がピンと張った 仕立ての良いものだ

椅子に斜にかまえ 凛とした女性の写真は

まるで 女優のプロマイドだ

写真は魂を抜かれる なんて 昔の人は言うが

年代物の写真におさまっている人は 誰もが

本当に魂が どこか 離れているよう 

妙に高尚だ

 今のように バンバン写メを撮りまくるのと違い

一生ものの 一枚という 意識の あらわれだろうか

それとも 本当に一瞬魂がぬけるのだりうか

  

そんな母の家は

お妾さん用の家を貸す賃貸屋さん

二号さん専門の大家さんである

万事小作りな 瀟洒な 家をいくつか貸していた

大人しく 器用であった祖父は

簡単な大工道具を手に 集金に出向いたようで

ちょっとした家の不具合を 直して回ったようだ

そこに 母は ちょくちょく同行した 

そのため

やけに玄人女性に詳しい

 

旦那さんが来る前には

髪結いさんのところに行き

身綺麗にお着替えをする

お香の香りでふわりと家を包み

玄関先に 漏れた香りが ひっそりと お迎え役を果たす

 好みの菓子に 好みの料理

旦那様だけのための 特別な空間

部屋のしつらえも 華奢に洒落ている

日々の生活の匂いを消した

はんなりとした 非日常

これが お迎えの スタイルらしい

 

「本妻さんには あんなことは できない」

そう口にする母は この田舎の住まいでも 

父に対して 似た接し方をしていたように思う

そして 村人にも

母の 接客のスタイルは どこか特別だった

忍びの里の男性陣も 

荒れた山寺に 

どこかしら 甘やかで優美な風を見たのだろうと思う

 

 

 

 

f:id:poponyan2525529:20180809215829j:image大阪人の母は

先の対戦が ちょうど 青春時代

さぞ 辛い毎日と思いきや

その頃の写真があり

「戦争中に写真なんて撮ってていいの」

驚く私に 

「きれいでしょう」

なんて 自慢げに 洋服の説明をする

白っぽい タイトスーツ、襟がピンと張った 仕立ての良いものだ

椅子に斜にかまえ 凛とした女性の写真は

まるで 女優のプロマイドだ

写真は魂を抜かれる なんて 昔の人は言うが

年代物の写真におさまっている人は 誰もが

本当に魂が どこか 離れているよう 

妙に高尚だ

 今のように バンバン写メを撮りまくるのと違い

一生ものの 一枚という 意識の あらわれだろうか

それとも 本当に一瞬魂がぬけるのだりうか

  

そんな母の家は

お妾さん用の家を貸す賃貸屋さん

二号さん専門の大家さんである

万事小作りな 瀟洒な 家をいくつか貸していた

大人しく 器用であった祖父は

簡単な大工道具を手に 集金に出向いたようで

ちょっとした家の不具合を 直して回ったようだ

そこに 母は ちょくちょく同行した 

そのため

やけに玄人女性に詳しい

 

旦那さんが来る前には

髪結いさんのところに行き

身綺麗にお着替えをする

お香の香りでふわりと家を包み

玄関先に 漏れた香りが ひっそりと お迎え役を果たす

 好みの菓子に 好みの料理

旦那様だけのための 特別な空間

部屋のしつらえも 華奢に洒落ている

日々の生活の匂いを消した

はんなりとした 非日常

これが お迎えの スタイルらしい

 

「本妻さんには あんなことは できない」

そう口にする母は この田舎の住まいでも 

父に対して 似た接し方をしていたように思う

そして 村人にも

母の 接客のスタイルは どこか特別だった

忍びの里の男性陣も 

荒れた山寺に 

どこかしら 甘やかで優美な風を見たのだろうと思う

 

 

 

 

 

 

 

忍者の里はひっそり弾む

 

f:id:poponyan2525529:20180806224117j:image

私はここの 生え抜きであります

生まれも 育ちもここ

 

うちはポツンと一軒家 だが

里には それなりに 集落があり 村をつくっている

当然 村が点在して 町を作っている

その町の人々が  一番の僻地と定めるのが

私の住む村

町役場まで 車で10分   

その距離ならまだまだ 不便なところはあるけれど

これがまた  

こんな所に ポツリと一村なのであります

山々を 分入った所に ポツリと存在する 閉ざされた 集落

そこへ よそ者夫婦が流れついたのです

それも 北の果てと 大阪のど真ん中から

北の果ては 知名度ゼロ 

大阪のど真ん中は 知名度がありすぎて

結局 どこの馬の骨ともわからない夫婦者が

世を忍んで ではなく

以後 よろしくと 空き寺めがけて

ドカドカと正面から移住してきたのです

村始まって以来の珍事となった訳です

閉鎖的な村で さぞ苦労したかと思いきや

さすがに 忍びの里

ある意味 外に開けた文化が 形成されていたようで

何事も スケールの大きい 大雑把な 北の人と

白黒はっっきりのつけたがる 大阪商人

両者をそれぞれ

面白いものを見るように

不思議がられ 呆れられながられ

半世紀

途中 里に 私を 産み落とすのですが

そんな訳で わたしには

忍びの血が ちっとも入ってないのであります 

申し訳ない